なんということだ。
日曜日だというのに、折角の休日だというのに、目が覚めたのは日が沈み始めた午後16時だ。
あぁ、私は貴重な休日を睡眠で台無しにしてしまったのだ。
別に体に問題があるわけでもない。もちろん心にも問題はない。
15時間以上も寝るなんて、この私が。何か魔物に取り憑かれたとしか思えないのだ。
考えすぎて頭が混乱が混乱した私は無意識に頭に手が伸び、清潔感のない蓬髪をワサワサ、ワサワサと掻いていた。
すると、何やら目の前に赤くて、丸くて、大きい毛玉のような物体が箪笥からヒョッコリと出てきた。
家内が編み物でもしていたのだろうか。その時の毛玉だろうか。それにしては毛羽立ちすぎである。私は、興味本位でその物体に近づいてみる。
近づこうとするとスルスルと動く。コイツは毛玉ではなく、生きている物体だ。物体の行先を手で妨害しその姿をよく見てみると、赤い毛羽立った体にうっすらと目玉がある。ひとつじゃない、二つ三つ。私はその不気味な見た目にブルルゥっと全身を震え上がらせた。
物体は私に恐れをなしたのか、それとも興味を示したのか複数ある目をギョロっと大きく見開いて私をジイッと見つめる。一体何をするつもりなのか。この家を乗っとるつもりなのだろうか。私は固唾をのみこみ、物体の動きをただひたすら眺めた。物体は私が何もアクションを起こさないからか、ジイッと見つめたきり、1ミリも動かない。もしかして死んだのだろうか。私は恐ろしさで震える手で物体を掴んだ。
モサッ。
柔らかい、そして暖かい。まるで手編みのマフラーのようだ。奇妙な見た目に反し、どこか優しさのある手触りはまるでむかし母が編んでくれた赤いマフラーのよう。
当時私は思春期で、赤は女の色だと言って川に投げ捨ててしまった。しかしあの優しく暖かい手触りが忘れられず、学校が終わった後に投げ捨てた川まで急いで自転車を走らせたが、赤いマフラーはどこにもなかった。その後、母に泣いて謝ってまた作ってもらったんだっけか。懐かしい。今思えば馬鹿なことをした。
そのマフラーは15年たった今でも大事に取っておいている。もしかすると、この物体は赤いマフラーの妖怪なのかもしれない。確認のために赤いマフラーをしまってある引き出しを覗いたが、ちゃんとあることを確認しこの物体が赤いマフラーの妖怪ではないことを知る。
じゃあコイツは一体なんなのか。ますます興味が湧く。捕まえた物体を手のひらの上でコロコロと転がし、ちょん、と指で突っついた。どうやら怯えているらしく目は閉じている。なかなか可愛い奴め。
手のひらの上では窮屈だろうから、布団の上に転がした。意外にも毛が抜けにくい体質なのか、いくら転がしても布団には毛ひとつ落ちてない。
しばらく転がしていると物体が急に私の手の甲に上がり込み、腕によじ登り始めたのだ。私は驚いた。よじ登り始めたことに驚いたのではなく、物体が四足歩行でテチテチと体を左右に動かして歩いていることに。
面白いと思った私は物体を指で掴み、再び布団に広げてスケッチをすることにした。物体は何度も丸まろうとしたが、私がそれを阻止した。何故なら、丸まっている姿よりも広がっている通常の姿の方が面白いからだ。私は物体を枕で押さえつけ、急いで箪笥の引き出しからスケッチブックと鉛筆を取り出した。
物体の動きを封じていた枕をよけると物体は再び丸まっていたので無理やり広げてやった。物体も諦めたのかもう丸まるのは辞めた様子。
さぁ、準備も整ったことだしスケッチを始めよう。まずは形。おでんのはんぺんに毛が生えたような形でこんにゃくのような厚みがある。色は赤一色。非常に目に悪い原色の赤だ。目は丸まっている時は三つあるように見えたが、実は五つで一つはS字型にぐにゃりと曲がっている。まるで助平なオヤジのような目だ。口は目の上にあり、かの有名な女優であるマリリンモンローを彷彿とさせるセクシーな厚い唇だ。手足は棒のように細く短くそれぞれ3本ずつといったアバンギャルドな容姿をしている。
この容姿は間違いなく妖怪そのものである。動物にしては奇妙すぎるからだ。妖怪はフィクションの生物だと思っていたが、まさかこんな身近で妖怪に出会えるとは思っても見なかった。
あまりの嬉しさに私は家内に見せてやりたくなった。私はオニヤンマを捕まえた子供のようにはしゃいでいた。急ぎ足で居間に向かうと家内は昼食の後片付けをしてる最中だった。
「あら、おはようございます。あなたにしては珍しく遅かったじゃない。」
「恐らく疲れが溜まっていたのであろう。そんなことよりも聞いておくれ。……僕は妖怪を見てしまったのだ!」
「まぁ。相当疲れていらっしゃるのね。もう一眠りされてはいかがですか。」
「それよりも見ておくれ。」
私は先程の赤い物体のスケッチを家内に見せた。
「あら気味が悪いですね。なんですか、それは」
「なんですって、さっき見た妖怪に決まっとるだろう。私はこの目でハッキリと見えたのだぞ。なんなら私の部屋に連れてって見せてやる。布団に寝転がってるぞ!」
私は家内の腕を引っ張り、物体が寝転がっている自身の部屋へ連れ込んだ。
「な、なにをするんです!妖怪なんていませんよ!目を覚ましてください!」
「なにを言ってる!ほうら、見てみろ!あれが妖怪だ!」
私が指をさした先、布団の上には何も寝転がってはいなかった。もしかすると脱走したのかもしれない。そう思い私は辺りをキョロキョロと見回すがどこにもおらず。もちろん箪笥の隙間にも、中にもいなかった。
そろそろ家内が痺れを切らして居間に戻ろうとする頃だろう。
私は家内に「あいつは恥ずかしがり屋だからどっかに隠れてるんだよ」と言い訳をする。
しかし家内は何も言わなかった。もう居間に戻ってしまったのか。私は残念な気持ちで一杯になり、家内がいた部屋の入り口に体を向ける。
するとそこにはーー
顔が赤い物体になった家内の姿があった。
「ヒィィィィ!!」
私は驚きのあまり腰を抜かしてしまった。
家内が物体に侵食……食われてしまっている。
助けねば、助けねば、どうやって助ければいいのだ。私は手元にあった枕で物体をひたすら叩く。しかし物体はびくともせず、五つの目で私を睨みつける。
「ヒ、ヒェェ、お許しを、お許しを」
きっと先程転がして遊んでいたことに腹を立てているのだろう。私は必死に土下座をした。額から血が出るほど土下座をした。
物体はいまだ動かず、私をジイッと見つめるばかりだ。
何故物体は家内の体を侵食したのか。私にはそれがわからず、頭を悩ませた。
もしかすると、物体の正体は家内だったのかもしれない。
いいや、家内の正体は物体だったのだ。
混乱した私は部屋にあった護身用の木刀で物体の目玉を突き刺した。
ブシャァと勢いよく赤い血が吹き出す。物体は全身を使って必死にもがくが私は息の根を止める勢いで心臓あたりをブス、ブス、と突き刺す。
何度か突き刺すと物体は動きが止まった。確実に死んだ。私はやったんだ。妖怪を倒したのだ。フィクションの存在である妖怪を倒したのだ。
私はいずれ、教科書に載るだろう。妖怪を倒した伝説の男として。
一服しようと思い箪笥から以前購入したタバコとマッチを取り出す。マッチは湿気のせいか五回くらい吸っても火が出なかったが、七回目でようやく火が出た。わずかであるが私はそれを逃さずタバコにつける。
「はぁ~……」
妖怪退治の後の一服は格別だ。今までのタバコに戻れないくらいだ。だが型は今までと同じなのだ。同じタバコでも10円くらいのパンとフレンチくらいの差がある。何故だろう。やはり仕事をしたからだろうか。このタバコはフレンチの味がする。高級フレンチの味が。
そして私はあることに気がつく。私という人間はもう一人いて、私はその一人の夢に出てくる人物であること。その人物が目覚める頃には私はもうこの世からいなくなる。
ならばそのもう一人の私に殺される前に私が私を殺せばいいのだ。家内という妖怪を倒した時のように。
では私は鳥になろう。窓から飛び降りた瞬間、私は空ではなく、無の世界へと飛びたった。